「人間の身体は、“モノ”ではありません。」
「本質的には、“情報”なんです。」
そう静かに語るのは、東京理科大学名誉教授・村上康文教授。
長年にわたり分子生物学、遺伝子工学、RNA研究の最前線を歩み続けてきた研究者であり、日本におけるRNA研究の第一人者のひとりとして知られる存在だ。
現在は、5Star Medical Club 細胞加工センター顧問としても活動し、microRNAやエクソソーム研究を通じて、「未来医療」の可能性を探り続けている。
だが、村上教授の語る内容は、単なる最先端医療の話ではない。
それは、「生命とは何か」という、人類が長年問い続けてきた根源的テーマへとつながっていく。

村上 康文 プロフィール
創薬科学・分子生物学・免疫医学を専門とし、基礎研究から臨床応用までを横断する研究を長年にわたり牽引。米国のアルバート・アインシュタイン医科大学、スローンケタリング記念がん研究センター、理化学研究所を経て、1999年より東京理科大学基礎工学部生物工学科教授に就任。
スローンケタリング記念がん研究センターでの腫瘍ウイルス研究を起点に、治療標的分子の探索、抗体作製技術の開発、抗体医薬の研究開発を一貫して推進。約700種類に及ぶ研究試薬用抗体をはじめ、診断用・治療用抗体の分野において世界トップレベルの実績を有する。
【専門領域】 再生医療、創薬科学、分子生物学、免疫医学
【経歴】
東京大学薬学部卒業、同大学大学院薬学系研究科博士課程修了(薬学博士)

“生命の設計図”だけでは説明できなかった
村上教授が研究者として歩み始めた時代、生命科学の世界では「DNAこそが生命のすべてを決定する」という考え方が主流だった。
遺伝子を解析すれば、生命の謎は解ける。
ヒトゲノム計画が世界的に進み、“生命の設計図”を読み解くことが科学最大のテーマになっていた時代である。
しかし村上教授は、早い段階からある違和感を持っていたという。
「DNAだけでは、生きている現象を説明できなかったんです。」
人間の細胞は約37兆個。
しかも、脳細胞、心筋細胞、肝細胞、皮膚細胞――
すべて同じDNAを持ちながら、まったく異なる働きをしている。
「同じ設計図なのに、なぜこれほど違うのか。
そこには、“制御システム”があるはずだと考えたんです。」
そこで注目したのが、“RNA”だった。
RNA研究の黎明期
現在では「mRNA」「microRNA」という言葉は一般にも知られるようになった。
しかし村上教授がRNA研究を始めた当時、それはまだ極めて専門的で、一部の研究者しか注目していない領域だった。
「当時は、RNAはDNAからタンパク質を作るための“中継役”くらいにしか考えられていませんでした。」
ところが研究が進むにつれ、RNAには単なる伝達役ではない、“制御機能”が存在することが分かり始める。
特に衝撃だったのが、microRNAの発見だった。
microRNAは、わずか20数塩基ほどしかない極小のRNA分子。
タンパク質を作るわけではない。
しかし、遺伝子のON/OFFを制御し、細胞の状態そのものを変化させる働きを持っていた。
「つまりDNAが設計図だとすれば、microRNAは“設計図の使い方を決める存在”なんです。」
この発見は、生命科学の考え方を根本から変えた。

「生命は情報で動いている」
村上教授は、microRNA研究を通じて、生命そのものに対する考え方が変わっていったと語る。
「生命は、物質ではないんです。」
細胞も、遺伝子も、タンパク質も、もちろん重要だ。
しかし本質は、“情報がどう流れているか”にある。
「人間は、“情報システム”として生きている。」
それが村上教授の一貫した考え方だ。
例えば同じ細胞でも、
- 若々しく機能する細胞
- 炎症を起こす細胞
- がん化する細胞
- 修復能力を失った細胞
では、“持っている情報状態”が違う。
つまり、病気とは単なる物理的破壊ではなく、“情報異常”である可能性が高いという。
細胞は「会話」をしている
その考えをさらに加速させたのが、「エクソソーム研究」だった。
エクソソームとは、細胞から分泌される極小のカプセル状物質。
以前は細胞の“不要物”程度に考えられていた。
しかし現在では、その内部にmicroRNAやタンパク質などの重要な情報が含まれていることが分かっている。
「細胞は、エクソソームを使って会話しているんです。」
ある細胞が放出したmicroRNAを、別の細胞が受け取り、その情報によって働き方を変える。
つまり人体は、膨大な“情報ネットワーク”として機能しているということになる。
「生命現象は、“個々の細胞”だけでは説明できません。
細胞間コミュニケーションこそが本質なんです。」
現在、エクソソーム研究は世界中で急速に進んでおり、再生医療、神経疾患、がん研究、老化研究など、多くの分野で応用が期待されている。

老化とは「情報ネットワークの乱れ」である
村上教授は、「老化」という現象も情報の観点から捉えている。
「老化とは、単なる時間経過ではありません。」
年齢を重ねても若々しい人もいれば、急激に機能低下する人もいる。
その差を生むのは、細胞の“情報状態”だという。
細胞同士の連携が乱れ、
慢性炎症が起こり、
修復能力が低下し、
異常シグナルが増えていく。
それが老化の本質に近いのではないか、と村上教授は考えている。
「つまり老化とは、“情報ネットワークの劣化”なんです。」
だからこそ、microRNA解析には大きな意味がある。
血液や唾液などからmicroRNAを解析することで、身体内部で起きている変化を、“症状が出る前”に読み取れる可能性があるからだ。
現在では、
- がんリスク解析
- 神経変性疾患
- 慢性炎症
- 糖尿病
- 免疫異常
などとの関連研究も進んでいる。
「未来の医療は、“病気を治す”のではなく、“病気になる前に制御する”方向へ進むでしょう。」
医療は「予測」の時代へ
村上教授が語る未来医療のキーワードは、「予測」である。
現在の医療は、“発症後医療”が中心だ。
異常が起きてから検査し、薬を使い、治療する。
しかしmicroRNA解析が進めば、病気の“前兆”を捉えられる可能性がある。
「人間は突然病気になるわけではありません。
必ず、その前に情報変化が起きているんです。」
つまり、
- がん化へ向かうシグナル
- 神経変性の兆候
- 老化加速
- 免疫バランス異常
といったものが、“情報の揺らぎ”として現れる可能性がある。
「だから未来医療は、“診断”ではなく“予測”になる。」
これは単なる医療技術の進歩ではない。
“病気という概念そのもの”を変えてしまう可能性を持っている。

「若返り」ではなく、“最適化”
一方で、村上教授は過剰なアンチエイジング表現には慎重だ。
「不老不死なんていう話ではありません。」
重要なのは、“生命機能を最適化する”という考え方だ。
細胞間コミュニケーションを整え、
炎症を抑え、
異常情報を減らし、
本来持っている修復力を維持する。
それが、本質的な意味での“健康長寿”につながるという。
「生命は常に動的なんです。
固定されたものではありません。」
だからこそ、“どう制御するか”が重要になる。
「これからの医療は、“何を入れるか”ではなく、“どう情報を整えるか”の時代になるでしょう。」
「生命とは何か」を問い直す研究
インタビューの最後、村上教授はこう語った。
「結局、生命とは“情報現象”なんです。」
細胞。
DNA。
RNA。
エクソソーム。
それらは単なる部品ではない。
互いに情報を送り合い、変化し続けながら、“生きる”という現象を成立させている。
microRNA研究とは、単なる最先端医療ではない。
それは、“生命とは何か”を問い直す研究でもある。
そして今、その研究は、“病気を治す医療”を超えて、
どう老いるのか。
どう生きるのか。
人間はどこまで生命を理解できるのか――
そんな、人類そのものの未来へ向かい始めている。

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